
#2|組織内部にある“ズレ”の構造
採用するセクションと受け入れるセクションに共通する願いは、採用した人が戦力となり、企業活動に貢献してくれることである。
しかし、その思いが実現することは想像以上に難しい。
会社というものは、どこか“散らかった家屋”に似ている。
採用には必ず事情があり、散らかった家屋のどこを任せたいのか──
全体の設計なのか、目の前の整理なのか、新しい建物を探すことなのか。
本来はここに 「採用の意図」 が必要だが、現場ではその意図が曖昧なまま人を迎え入れてしまう。
多くの企業は、採用時には「目の前の作業をお願いしたい」と思っている。
しかし入社後は「勝手に成長してくれるだろう」と期待してしまう。
すでに貢献しているにも関わらず、さらに期待を背負わせ、その重さが離職につながることもある。
組織にはそれぞれ慣例やルールがあり、既得権益のように積み重なっている。
その慣例を変革してくれることを新しい人材に期待してしまうが、既存の組織ですら変えられなかったルールを、入社したばかりの人に背負わせるのはあまりにも負荷が大きい。
採用担当がキャリアプランまで丁寧に共有しても、配属先では「近々の事情」が優先され、まったく異なるポジションを担当させてしまうことがある。
その瞬間、採用時に描いた物語は断絶し、人は「思っていた会社と違う」と感じてしまう。
中途入社の人は別の世界で経験を積んできた。
その経験はすぐには活かされない。
まずは企業のやり方を覚え、生活文化に馴染み、その後に徐々に経験が活かされる──これが本来の流れである。
制度のひずみ:マネジメントとメンターの“両立という幻想”
ここには、現行の制度や考え方では不足している明確な点がある。
定着率を上げ、入社した人を軌道に乗せるためには、管理職が「マネジメント」と「メンター」の両方を担うことが求められている。
しかし、これは本来両立できない役割である。
現場では、経験豊富な人が“ボランティア的に”教育係を任されることが多い。
しかし、この慣習はあくまで“現場の善意”に依存しているため、新しく入った人の「気持ちのケア」や「生活文化の理解」まで十分に担うことは難しい。
一方で、管理職はコンプライアンスや社会的な雰囲気の変化により、生活文化のケアに踏み込むことが慎重にならざるを得ない。
結果として、現場と管理職の間に“生活文化のズレ”が生まれやすくなっている。
そのため、このズレを埋める専門職として、業務経験が豊富で、生活文化を理解しているメンターが必要になっている。
メンターは「気持ちのケア」「生活文化の翻訳」「目的の接続」を担う役割であり、本来は役職手当を与えるほど重要なポジションである。
だが、多くの企業では制度設計が追いついておらず、現場の善意や個人の力量に依存したままになっている。
だからこそ、マネジメントとメンターを切り離し、同じ職位として設計する必要がある。
もし専門職として設けないのであれば、チーム全員がメンターの役割を分担し、誰か一人にしわ寄せがいかない仕組みにする方が機能する。
しかし、各自がミッションを抱えている現場では、負担を強いること自体が現実的ではないという難しさもある。
組織は役割分担をしているはずなのに、内部の分担はなぜか整理されていない。
これもまた、組織のひずみを生む原因になっている。
構造の相似:人への過剰期待と技術への過剰期待
組織の内部には、「人に過剰な期待を背負わせてしまう構造」が常に存在している。
そしてこの構造は、実は“新しい技術”に対しても同じように現れる。
これはAI導入時の幻想とよく似ている。
「勝手に仕事が片付く」と期待しても、AIは使う側の能力に合わせて働く。
新しい人材も同じで、勝手に成長するのではなく、一緒に進む前提が必要になる。
人手不足で大変な状況にも関わらず、採用する側も受け入れる側も、結局みんなが大変になってしまう。
この“構造的な疲弊”こそが、組織内部にあるズレの正体なのかもしれない。